高田屋の主張
1833年 高田屋闕所 その背景を考える [高田屋は物申す]
投稿日時:2008/09/27(土) 13:23
【高田屋闕所 その背景とは】
その理由を簡潔に表現すると
「現代にあっても大変進歩的な経営思想であったため、協力者であった幕府が恐れた」
『進歩的な経営思想』については、次回以降に詳しく解説していきますが
「利益の社会還元」がその大きな特徴の一つとして挙げられるでしょう。
「適切な企業の社会奉仕はより一層の利益となり企業に還元される」という概念です。
その時の社会情勢は、年表などを年号で何が起きたか?だけを見てしまうと見えては来ません。
改革・事件などはピンポンイトで見ずに、ある事柄が起きた原因は、
「その以前から続いていた問題がその膿が充満して堪えきらなくなったときに爆発して起きた」
と考えると見えてきます。
当時の社会情勢は、次の3点に要約されるでしょう。
・松平定信の寛政の改革による重農主義・鎖国主義の強化政策の膿が相当溜まった時代。
・天保の飢饉、極端な重農主義により、幕府財政が相当疲弊した状態。
・その後まもなく「大塩の乱」が発生したように、政策に対する不満が非常に高まっていた時期。
高田屋の価値観と幕府が相容れないのはどのような所か考察します。
●場所繁栄のため、扱い高の半分を和人、アイヌ、使用人、一般人の別なく配分
松前藩のアイヌからの過酷な収奪とは全く異なり、アイヌの尊厳を守る嘉兵衛の思想は
和人国家、身分制度を政策の基盤とする幕府の思想とは相容れないものだったでしょう。
●現代の法人に通じる概念
高田屋のため私情を排し長男を廃嫡、実力主義で弟金兵衛生に跡を継がせた思想は
幕府の家督相続の基本方針とは全く異なるものです。
●新しい国家感
ゴローニン事件解決の際の嘉兵衛の「国益」の概念は、
為政者である幕府にとっては「幕益」と異なる危険な思想と考えた者もいたはずです。
●近代経営による強大な資金力
・高田屋の繁栄に比例して衰退する松前場所は当然高田屋を潰すチャンスを狙っていたでしょう
・無策で疲弊した幕府財政は、高田屋の膨大な資金の収奪は非常に魅力的だったはずです。
・維新の萌芽は芽生えていたはずで、高田屋の資金力とこれが結んだときの驚異も考えたでしょう。
・同様に高田屋の資金力とロシアとの結びつきの危険も考えたはずです。
■幕益至上主義の幕府
■公益・国益を根幹とする高田屋の思想
幕府は高田屋を幕益に対する脅威と判断した結果起こった事件だったのです。
尚、維新直後の1869年、明治政府は高田屋無罪を認定しますが
維新政府の財政危機、政権の安定が確立していない状態であったこともあったでしょうが
冤罪で国庫に没収された財産の返還は未だに1銭も為されていません。
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