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高田屋の主張
日本初の民間外交官としての嘉兵衛[高田屋の主張]
投稿日時:2008/09/07(日) 13:44
高田屋嘉兵衛に対するロシアからの評価は
時代・体制・政権がどう変わっても常に尊敬を受けてきています。
帝政ロシア・ソビエト連邦・ロシア連邦の高田屋嘉兵衛に対する評価は全く変わっていません。
西暦 |
年号 |
出来事 |
国体 |
1814 | 文化11 | オホーツク長官よりゴローニン事件解決の感謝状を戴く | 帝政ロシア |
1854 | 安政元 | 遣日大使プチャーチンが箱館に来た際に遺族への贈り物を申し出る | 帝政ロシア |
1861 | 文久元 |
ニコライ司祭箱館に来た際に遺族へロシア人画家による肖像画を持参。 日記には「長生きしていたら、逢えるかも知れない・・」と記述 |
帝政ロシア |
1926 | 大正15 |
高田屋嘉兵衛100年祭にソ連を代表して大使・領事・通商代表が出席。 神仏合同の祭壇に玉串奉奠と焼香をする。 ヤンソン通商代表が感謝の意を述べる。 |
ソビエト連邦 |
1956 | 昭和31 |
高田屋嘉兵衛130年祭にソ連チビンスキー公使より祝電 『高田屋嘉兵衛を偲ぶ事はソビエト人民にとって意義の深いものです・・』 |
ソビエト連邦 |
1958 | 昭和33 |
函館の高田屋嘉兵衛銅像除幕式に 東京よりソ連大使館イワノフ参事官が出席。 |
ソビエト連邦 |
1959 | 昭和34 | フェドレンコ駐日ソ連全権大使が函館の高田屋嘉兵衛銅像を訪ねる。 | ソビエト連邦 |
1987 | 昭和62 |
高田屋七代目が館長を務める北方歴史資料館にゴローニンの子孫が 胸像を贈呈。その後、訪問する。 |
ソビエト連邦 |
1997 | 平成9 | パノフ駐日ロシア連邦全権大使が北方歴史資料館を訪問 | ロシア連邦 |
2006 | 平成18 | カムチャツカ州が山にタカダヤ・カヘイと銘々 | ロシア連邦 |
ロシアからの評価の要約は以下ではないでしょうか?
1813年にゴローニン事件を解決した日本初の民間外交官で商人。
日露関係の始まりに、日本の利益だけではなく、
ロシアから戻った後はロシア人に代わって幕府と折衝したのでロシアの利益も代表していた。
ロシアの外交官で「タカダヤ・カヘイ」を知らなかった方とはお逢いしたことがありません。
一方、日本。
保守的な幕府官僚達が、「旗あわせ」の言いがかりを付け闕所となり高田屋を潰しました。
1911年正五位を受勲し、名誉の回復は果たしています。
現在も、高田屋の活動はすべて私財を使い活動しております。
しかし、それでも民間の活動・発言を快く思わない方が居るようです。
ある意味ロシアと同じく一貫していると言えますが・・・・・・
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