高田屋の主張 2008/9/28

高田屋 利益の社会還元

[高田屋嘉兵衛] 投稿日時:2008/09/28(日) 15:52

高田屋が本店とした箱館及びその周辺での実例の簡略紹介です。

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開墾 

 

郷里から農民を箱館に入植させた。

町が大きくなるには食料の増産が必要と考え土地の開墾を考えた。

養殖

 

淡路・兵庫からハマグリ・蜆の稚貝を運び、箱館港へ投入養殖。

コイ・フナ・ウナギなどを近隣の池沼に放した。

埋立て

 

箱館港中に埋立て島を造り、造船所を建設。

市中の低湿地五万坪を埋立て、箱館の発展を促す。

植林 箱館山及び近郊に松、杉を相当数植林。 
窮民救済 

 

1806年

箱館大火

 

 

本店の焼失にもかかわらず、類焼の窮民へ銭・米・古着などを与え

長屋を建てて入居させ、大阪から日用品を大量に運び元値で販売。

銭の無い人には年賦で放出

 

翌年、大阪より井戸掘り職人を呼び寄せ、九箇所で井戸を掘らせて公共へ寄付。

消火用の手押しポンプも各町へ寄付。

備米

 

九戸の蔵を設け、越後・秋田・津軽地方で米価が下がると買取貯蔵。

米価が高騰したときに安く放出して急場を凌がせる。

場合によっては元値販売・施米をした。

失業対策 亀石 不況時に箱館近海の巨石を窮民に運ばせて米銭を与える。
商況安定策    富の配分 漁業用品などを複数の商家から購入して富の分配を考えた。
利益配分 請負場所では従業員に利益配分を実施。
厳正な検品

 

厳正・厳密に検品をして等級分けを行い、高田屋の商標は検品なしで取引された。

択捉・根室・幌泉の請負場所の収穫物は箱館本店で再検品・荷造りを行い出荷。

漁法の改良 高田屋轆轤を考案・普及させる。
人材登用

 

播磨から名大工の工楽松右衛門を連れてきて官に紹介。

択捉島アリモイ港の改修、箱館港の改良を行う。

船大工、家大工、菓子職人なども本州から呼び寄せた。

道路改修 松前街道・周辺村落への道路改修などをすべて自費で行った。
金融

 

金融業ではなく、窮民・一方的な無心に返るあてのない銭を貸した。

松前の武士、寺など、道南のあちこちに現存している。

高田屋の経営思想

[高田屋嘉兵衛] 投稿日時:2008/09/28(日) 13:48

約200年前であったことを念頭に置いてお読みください。

「高田屋」という法人で、嘉兵衛は代表取締役として活動していました。

(実子を廃嫡し、高田屋を私物化しませんでした)

 

◆経営規模は日本最大ではないかと考えられます。

1833年の幕府による没収財産は、各説あるものの現在に換算すると

数兆円~数十兆円と言われるほどの莫大な財産でした。

 

◆日本の資本主義の元祖であり、マルクス・ケインズ以前にその中庸を執った経済活動を実践。

当時は米が日本経済の基本であり、富豪は田畑を持つことが当然の時代に

店舗、倉庫、住居以外の不動産を取得せず、資本をすべて商品、船舶に投資。

資本の回転効率を計り、幾何級数的に増大、さらにその資本を独占せずに社会還元させて

一層の企業繁栄を図った。

 

 ■ 業務内容
銀行業務 

 

預金業務

為替業務

貸金業務・年賦

 

様々な所から百両、千両単位で預かり金を受けていた。

現在の為替手形と同様の為替手形を発行していた。

年賦は貧民救済のため、取立ては行わなかった。 

運送業務

 

一般運送

兵員輸送

代理運行

 

当時の大量輸送の手段は船しかない時代に大量の船舶を保有

東北各藩兵を北方防備のため蝦夷へ輸送

幕府の官船の運航も一手に引き受けていた

造船業務

 

自社船の造船

官船の造船

船匠の養成

 

当時の重工業である千石積以上の造船所を作る

幕府の官船の造船も一手に引き受ける

日本人による初の洋式船「函館丸」を作った続豊治を輩出

商社業務

 

自社船団で各地で物資の買入れと販売をしており

特に一大消費地江戸への物資供給は莫大なものだった。

漁業

北洋漁業の元祖、漁業だけではなく流通も押さえていた為に

その収益は膨大なものだった。

倉庫業務 自社倉庫を多数建設し、現代の保税上屋業を行っていた。
   

 

金銀相場の船による早い情報網、現物輸送を利しての差益など

現在の大銀行・鉄道・トラック輸送・大商社・重工業・商品取引の大手数社分に加え

政府事業も委託されていたマンモス企業だった。

 

■経営の特徴
安全運行管理 高田屋の船の難破記録は見当たらず、損害保険の無い時代に莫大な利益を輩出。
品質管理 多くの等級を設け、量目を明示して厳正に管理を行った。
ブランドの確立

 

品質管理の厳正な高田屋の山高印は日本中に検品無しで流通。

200年前としては大変な信用だった。

技術革新

 

有視界航法の時代に沖走り航法の確立。

三陸海岸に打ち寄せられる危険が無く、東廻り航法の基礎となる。

従来の北前船の江戸-松前 日本海航路に比べ飛躍的な短縮。

流通革命 沖走り航法による東廻り航法の効率UPからくる利益は莫大であった。
開発

 

函館から北海道東側を通り、根室、エトロフに至る安全な航路を開拓し

たくさんの場所が誕生し、その多くが現在の市町村として残っている。

●北方領土を1800年より日本領として確立したこと

●函館、根室が現在も市として残っていることの基礎

いずれも高田屋が作ったと言って過言ではない。

 

人事管理

福利厚生

 

・賃金台帳の整理、帳簿・事務取扱規程の明確化により賃金の不公正を排除

・離島、僻地への医師の常駐

・アイヌと和人の待遇を同等とした

以上の施策により、高田屋の場所には良質な労働力が集中

一方収奪の激しい松前場所は人手不足で事業が頓挫。

利益の社会還元

 

高田屋管理の拠点では、場所繁栄のため

自己扱い高の半分を和人・アイヌ・自己使用人・その他区別無く配分。

そのため多数の人が集まり、函館・根室などの都市ができ、労働力の確保

江戸の帰り船で積んだ日用品の販売のための内需拡大が可能となった。

 

また、公共インフラの整備、失業対策事業、窮民救済を無償で行い

「適切な企業の社会奉仕はより一層の利益となり企業に還元される」という

大きな近代経営の思想をもった経営だった。

 

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