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高田嘉七の名刺[高田屋の主張]
投稿日時:2009/01/28(水) 13:30
高田嘉七の名刺の裏面は、ロシア語で記載されています。
小さいので読みにくいと思います。
原稿は次の通り
Действительный член Русского Географического Общества
Такада Касити
Седьмой потомок великого японского купца Такадая Кахэй,
разрешившего в 1813 году первый дипломатический конфликт
между Японией и Россией - "дело Головнина".
Такадая Кахэй (1769-1827)
Видный купец эпохи Эдо; родоначальник японской《народной дипломатии》.
с 1799 года занимался коммерческим освоением акватории островов Итуруп и Кунашир
в 1813 году разрешил конфликт, связанный с "делом Головнина".
翻訳いたします。
Действительный член Русского Географического Общества
Geographical Society正会員 (注:サンクトペテルブルグ本部 世界最古の地理学協会)
Такада Касити
高田 嘉七
Седьмой потомок великого японского купца Такадая Кахэй,
разрешившего в 1813 году первый дипломатический конфликт
между Японией и Россией - "дело Головнина".
私は、1813年日露の最初の外交問題「ゴローニン事件」を解決した
高田屋嘉兵衛の七代目の子孫です。
Такадая Кахэй (1769-1827)
Видный купец эпохи Эдо; родоначальник японской《народной дипломатии》.
с 1799 года занимался коммерческим освоением акватории островов Итуруп и Кунашир
в 1813 году разрешил конфликт, связанный с "делом Головнина".
高田屋嘉兵衛(1769-1827年)
江戸時代の大商人で日本初の民間外交を行う。
・1799年から、択捉・国後など南クリル諸島の漁場開発
・1813年、日露外交問題である「ゴローニン事件」を解決
第16回 2009年日ロ合同新年会[高田屋の主張]
投稿日時:2009/01/28(水) 13:03
日ロ交流協会http://www.nichiro.org/index.shtmlより
高田嘉七宛に御招待を受け、1月27日日ロ合同新年会に出席いたしました。
場所は 在日ロシア連邦大使館
冒頭はM.Mベールイ駐日ロシア大使のご挨拶
在日ロシア連邦大使館付属学校児童の歌や踊り
O.N リャボフ総領事と高田嘉七との歓談の模様
2009年夏 カムチャツカツアー「嘉兵衛の軌跡を訪ねて」[高田屋の主張]
投稿日時:2008/12/30(火) 14:08
具体的な募集内容・日程等は正式に決まっていませんが、2009年夏
●日露初の外交交渉である嘉兵衛・リコルドとの会談の舞台、
●嘉兵衛幽囚の地
ペトロパブロフスクカムチャツキーへのツアーを企画中です。
【アドバイザー】
社団法人北方歴史研究協会
登録博物館 北方歴史資料館
【旅行手配】
株式会社ジャパン・エアー・トラベルマーケティング
【現地調査】
【特別ゲスト】
高田嘉七(高田屋七代目)
嘉兵衛ゆかりの地歴訪は勿論のこと、
ナリチェボ公園内の嘉兵衛、ゴローニン、リコルドと命名された山々のヘリコプター見学
また、温泉、登山、美しい自然を楽しむことが出来る絶好の季節です。
詳細が決定しだい逐次ご報告いたします。
釣りキチ三平 矢口高雄さん[高田屋の主張]
投稿日時:2008/11/01(土) 16:00
2006年6月19日発行・週間少年マガジン増刊
釣りキチ三平 平成版
三平inカムチャツカ・カヒの秘密
残念ながら現在はもう廃盤になってしまい購入出来ないようです。
巻末に矢口高雄氏と高田嘉七の対談が掲載されています。
北の海、北の大地に踊った、豪快な男の夢を語りましょう!
この対談では、ある面白いテーマについてお話をしました。
高田屋闕所の真相と高田屋の文書が残っていないのは何故か?
この話を今後触れていきたいと思います。
高田屋嘉兵衛のすべて[高田屋の主張]
投稿日時:2008/10/26(日) 12:51
「高田屋嘉兵衛のすべて」
編者:須藤隆仙・好川之範
発行:新人物往来社
第1刷が発行されました。
高田屋七代目 高田嘉七も執筆しています。
●高田屋嘉兵衛の出自と系譜 高田嘉七
●高田屋嘉兵衛は幕府の外交密使か 高田嘉七
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